私は
ずーっと子どもを生みたい
子どもを育てたい
母になりたい理想がありました
妊娠のちょうど1年前も私は妊娠していました
妊娠検査薬では何度しても陽性反応
産院にも行き
「また来週来てください」ということでワクワクしながら過ごしていましたが
産院へ行く予定の前日、仕事中にお腹の痛みを感じ
トイレに行くと大量の出血
結果、流産でした
結婚して3年以上は経っていたので「子どもはまだ?」という言葉も家族や親戚から聞こえてくる
年齢的にももう無理かも〜
妊娠、出産、育児を経験したかったけど私にはできないんだ、諦めよう
人には簡単にできることが
私にはできないと
人と比べて落ち込んで
結婚、出産、子育てなど世間一般的に皆んなが経験していることに合わせたい、それを幸せの条件だと思っている私がいて
こんなに頑張ってるのに何で〜と悲しさだけでなく、怒りも湧いてきたり
そもそも私のベースが間違っていました
幸せに条件をつけていること
「〇〇〇だったら幸せ」だと
命を授かったこと
それだけで
いかにスゴイことなのか全く全く分かっていませんでした
なぜ1年後のこの度、妊娠に至ったのか
授かった命
神様がそうしてくださったとしか思えない
(ここでいう神様は宗教上の神様ではなく、私たちを生かしてくださっている存在のこと仮に神様と書かせていただきます)
ただ1年前とは違うことは1つ
それはマスク生活をやめたことです
コロナで突然始まったマスク生活
マスクが当たり前〜
しないことは人に迷惑をかけること〜
当然、職場でもマスクを絶対つけるようにとの指示があり
強制的な指示があるまでマスクをしなかった私も
「ここで働かせていただいているんだから仕方ない」とマスクをして仕事をしていました
私たちは空気があるから生きることができる空気に生かしていただいている
仕事より空気が大事
仕事を何分かしなくても生きることはできるけど、空気が何分かなかったら生きていけない
マスクをして空気を自らがいらないとしている
「空気の大事」を頭では分かっていながら、行動が伴っていない
同調圧力に負けて、自分を持って生きていない
嘘、何のおかげさまで生かしていただいているのか筋が通ってない
周りに流される
人のせい、環境のせい、社会のせいにして
私にとって何が大切なのか
やっぱり、私は、仕事より空気が大切
職場には
謙虚に理由をお伝えして
マウスシールドをつけながら
仕事をさせていただきました
マスクをしていなくても結果は
コロナには一度もなっていません
濃厚接触者として自宅待機にも一度もなっていません
私が配属されている部所からも一人の陽性者も出ていません
それが結果です
そして
待望の妊娠
人、環境、社会のせいにしない
人に流されず
自分を持って生きること
生かしていただいている
空気に感謝